ふと気が付いたのだが、今でもよく遊ぶメンツは大学時代の友達と幼なじみくらいである。
中高生時代の友人達はいつの間にか綺麗さっぱり周りからいなくなっていた。
何故か?進学、就職でライフステージが変化し、通う場所が変わっていったからか?と思ったが、それだと就職してからも大学時代の友人達と遊んでいることに説明がつかない。
うーんと頭を捻った結果、やはり、これは、
望んだかどうか
の違いなのだと思う。
中高生の頃の交友関係って正直異常だと思う。
狭い密室に多感な若い男女40人を閉じ込めておくのだ。
衝突やいじめがないはずがない。事実、俺は変わり者だったから、まぁ、そりゃいじめに近い事もされた。
それから逃れる方法の1つが友達を作るなのだ。
人間って醜いもので群れている奴らよりも個人を狙いたがる。
だから俺は独りになるのが怖くて友達を作っていた節がある。今考えるとそんなの最早友達でもなんでもないのだけれどね。
とにかく中学高校って大人が思っているよりもずっとハードな環境で友達を作って群れるってのは俺なりの処世術だった。
そんな浅い関係の奴ら進学を機に周りからいなくなるなんて当たり前の話である。
一方、大学時代の友人で未だに遊んでいる人達を考えると面白い。
殆ど部活の仲間なのである。クラスの友人は1人もいない。
やっぱり俺はクラスとかそう言う無理やり集められた集団が非常に苦手なのだ。(事実俺は職場も苦手)
その点、部活の友人達はこう言う言い方をするととても失礼なのだが、
『俺が選んだ人間たち』だった。
要するに、無理やり集められて押し込められるんじゃなくて、俺がキチンと考えて付き合った人達なんだと思う。だから部員の中でも気が合わなかったり、この人嫌だな、と思った人とは接触を避けていた。
そう言う取捨選択の末に残った人達なのだがら、そりゃ気が合ったり一緒にいて楽しい訳だ。(恐らく彼らはそんな事全く思ってなさそうだがな!友情は常に双方向ではないのである)
今、思い返すと高校時代、テキトーに自衛のために友達を作るなんて馬鹿だったなと思う。
腹割って本当の自分を晒していれば、クラスメイト38人に虐められても、1人くらい親友は出来ていたかもしれないのに…
でも、馬鹿じゃなきゃあの頃生き残れなかったんだろうな…とも思う。当時の俺は俺なりにとても必死だったのだ。
15歳の俺に『大丈夫だよ』と言ってやりたい。
そして、代わってやれるなら代わってやりたい。
とりあえず、クラスメイトのオッパイ揉みまくって、気に入らねえ陽キャ軍団のドタマを片っ端からバットでかち割って教室の真ん中で放尿して、クソみてえな教師の口にクソ垂れてやる。
なに、どうせ10年後は合わねえんだからな笑
【追記】
もしかすると10年後の俺は同じような事を思っているのかもしれない。
『どうせ辞めるのに、あんなに頑張って上司に合わせたり、パートさんの愚痴聞いたり、当時の俺は馬鹿だったな。腹割って話せば親友の1人くらいできたのかもしれないのに。
26歳の俺に『大丈夫だよ』と言ってやりたい。
そして代わってやりたい。
とりあえず、フロア中の女子社員のオッパイ揉んで体育会系の先輩のドタマを片っ端から叩き割って、クソみてえな社長の口にウンコ垂れてやる。
なに、10年後には会わねえんだからな笑』
うーん…ダメだな。
15歳だとまだ刑務所まではいかないが、今の俺なら100豚箱行き決定である、、、