12月31日、武道館は異様な熱気に包まれていた。
全国からイキリオタク達が集まり、中には風呂に入らないヒキニートもいるのだろうか、会場には汗臭さが漂う。会場は満員であった。
武道館の中央には巨大なマットが用意されている。今夜死闘の舞台となる、死のマットだ。
ひしめき合う会場の裏、控室で、真島浩高はあたりを見回していた。控室は選手とそのセコンドや関係者で喧騒に包まれていた。
いない、晴男さんがいない。真島は辺りを見回しても晴男がいないことに気がついた。
一体どこにいるのだろう?真島は気が落ち着かなかった。
真島にとって晴男はいじめられっ子だった自分を変えてくれた恩人であり、そして唯一無二の師匠であった。後味の悪い別れ方をしたものの、晴男に対する尊敬の念は変わっていない。その想いがあったからここまでやってこれた。
晴男と別れてから始めたボクシング。真島はプロボクサーになっていた。数ヶ月前に圧倒的な力で新人王戦で優勝し、新進気鋭のボクサーとして業界から注目されていた。
「どこにいるんですか…晴男さん…」
思わず声が口から漏れた。
「おい、ヒロ、今は試合に集中しろ」
今回、セコンドをかって出てくれた山下地蔵が真島のテーピングを巻きながら呟く。
元々、真島は学生時代山下にいじめられて不登校になった。しかし、通い始めたボクシングジムが偶然同じで、そのことがきっかけで仲良くなり、今では無二の親友である。
山下は泣きながら当時のことを謝ってくれた。それを真島は受け入れた。晴男に出会わなければ、きっと今でも暗い部屋の中、一人でいたことだろうと真島は思う。
しかし、晴男と出会い、変わり、親友が出来、生きる目標が出来た。
だからこそ晴男に恩返しがしたい、そして自分なりの恩返しの仕方は晴男を超えることだと決意した。だからこの大会にも出場を決めたのであった。
その頃、マットの上に一人の男が現れた。壮年の紳士である。彼はタキシードに身を包み、マイクを握った。今大会の首謀者、楊楊氏である。
「地上最強の男が見たいかー!!」
楊が叫ぶ。その声に呼応するように皆叫んだ。それは叫びと言うよりも地響きに近かった。
男達の雄叫びが武道館を揺らしたのであった。
「御宅を並べるのはよそう、お前らは俺を見にきたんじゃないだろ!?戦士の血を皆きたんだろ?ならはじめよう!!!第一試合!!!矢吹晴男対牛丼田中丸!!!」
うぉおおおおお!!!!
またもや男たちの叫びが武道館を揺らす。
会場の東出入口より、一人の男がマットの上に歩み寄る。
その男は温和そうな顔とは裏腹、剥き出しになった上半身の筋肉は鋼鉄を想起させるほどの膨らみと鋭さを持っている。
迷彩柄のパンツも生地の上からわかるほど太くてデカい。
「東!!!183センチ、103キロ!!!牛丼田中丸!!!」
実況が館内に轟く。
その声と同時に田中丸は右腕を高々と挙げた。
また歓声が館内に響く。
「西!!!177センチ、96キロ!!!矢吹晴男!!!」
わぁああ!!!と歓声が上がり、晴男が出入り口より現れるのを皆が待ち構える。
しかし、晴男は出てこない。マットの近くでスタッフ達が慌てているのが分かる。
「晴男さん…一体どこに行ってしまったんだ…」控室のモニターから真島が心配そうに眺めている。
「こなければ、私の不戦勝ということでいいかな?」
牛丼田中丸が近くのスタッフに声をかける。その声は落ち着き払っていて、今から死闘を演じる男の声ではなかった。
会場がにわかにざわめき始める。
「おいおい、こんなことあるのかよ」
「晴男を出せ!!!晴男はどこだ!!!」
男たちの怒号が飛ぶ。
「ショウブハマダツイチャイナイヨー!!」
その時、力強いカタコトの日本語が館内に轟いた。皆が静まり返り、声の主を探る。
彼女は観客席の1番後方にいた。
「おい!!!あれ、ハリウッド女優のユユサーマンじゃねえか!!!」
誰かがそう叫ぶ。確かに、その声の主はブルースリースーツに身を包んだ、ハリウッド女優のユユサーマンであった。
そして、その隣にはフォークギターを持った青年の姿があった。
その青年が歌ったのは、数々の大音楽家達がカバーしてきた珠玉の名曲、朝鮮半島の悲劇の歴史を歌った「テムジン河」であった!!!!
青年は歌いながら会場の階段を降り、試合会場のマットの上まで歩を進めていく。
そして、彼は見事にテムジン河を歌い切った。
彼の歌声に会場の人々は涙を流した。
一体、なぜ兄弟達は一つになれないのか?
一体僕らを隔ているものってなんだろう?
「パッティギ!!ラブアンドピース!!!」
青年はそう叫ぶとギターを床に叩きつけた。
その様はまるで、ギターを国境に見立て、僕たちの心を一つにしてくれている様だった。
「いやぁ、すいません、コカイン流パリピ武道家達を倒すのに時間がかかって遅れてしまいましたよ…」
この青年こそ、我らが矢吹晴男、その人であった!!!
「矢吹…」田中丸の顔が一瞬歪む、それは闘志からかそれとも憎しみからか…
「待たせたな牛丼田中丸…そんな涼しげな目もと流し目しても
めっ!!だぞ…」
死闘がついに始まる。