ときどき物語の説明なんてものはしない方がいいように思う。言葉に意味を見出そうとしたとき、それまで無限にあった解釈がたったひとつの陳腐なものに変わってしまう気がするからだ。
ミロのヴィーナスの手は失われたからこそ、無限の美しさを手に入れたのである。
村上春樹の小説はそういう類のものだと思う。
しかしながら、まあ、自分なりに分かりやすく小説について思ったことを書くのも読書の楽しみというもの!
今回は『国境の南、太陽の西』についてつらつらと書き連ねていきたいと思う。
・国境の南、太陽の西のあらすじ
・主人公のハジメは1951年生まれ。
・一人っ子であることにコンプレックスを抱いていた。(当時は兄弟姉妹がいる家庭がほとんどだったからである)
・小学生の頃、足の悪い少女『島本さん』と恋に落ちるが中学に上がると疎遠になる。
・高校でイズミと言う少女と付き合うがハジメの浮気が原因で別れる。
・社会人になって10年目のとき、有紀子と出会い結婚する。
・有紀子の父は不動産会社の社長でハジメにビルのテナントを貸してバーをするよう勧め、ハジメはバー経営を初めて最高する。
・全てが順調であるが、全て借り物のような人生だと、幼少期の頃と変わらぬ自己不全感を抱くハジメの元に島本さんが再び現れる。
・島本さんは自分の現状については一切明かすことなく、ハジメとの交友を再び深めていく。
・ハジメは全てを捨てて島本さんと結ばれようとするも、島本さんはハジメの元から姿を消す。
・ハジメは抜け殻のようになったイズミと再会する。
・ハジメは有紀子と再び生きていくことを決意する。
これが超大まかなプロットである。
・国境の南、太陽の西とは一体なんだろう?
さて、タイトルの国境の南、太陽の西とは一体なんなのだろうか?
国境の南とは、ナットキングコールが歌う洋楽のことであり、ハジメが島本さんの家で繰り返し聞いていた曲のことである。
国境の南には素晴らしいところがあると小学生の頃の2人は思っていたが、大人になって歌詞を見たとき、メキシコを歌った歌だと知りガッカリする。
太陽の西とはヒステリア・シベリアナ(造語)を指す。シベリアの農夫がかかる病気であるとき、自分の中の何かが損なわれ、飲まず食わずで西に死ぬまで歩き続ける病気である。
つまり、これは言い換えれば、国境の南=幻想、太陽の西=死(もしくは絶望)とも言い換えれる。
『国境の南、太陽の西』とは『幻想、死』であると俺は思った。
・自己不全感と国境の南。
ハジメは幼少期から自分の中の何かが欠けているような自己不全感を持っていた。
そして、それを埋めてくれる存在(幻想)を探し求めており、それに当たるのが島本さんである。
※ちなみに、この自分のペルソナや自己不全感といったテーマは村上春樹の作品でよく見られる。(世界の終わりとハードボイルドワンダーランドなど)
作中、ハジメは島本さんを激しく求めるが、果たして国境の南を超えることができたかと言うと、そうではなく、彼はむしろ太陽の西に近づいていたのであった。
・太陽の西と方位
作中の終盤、ハジメはいつもバーに高級なスーツに身を包んでいくのに、その日はラフな格好で出向いた。
ルーティーンが崩れたくらいで何かが損なわれるわけはないと、しかし、彼はその結果さまざまなものを損なうことになる。
ハジメは島本さんとバーで会い、そのまま自身が持つ箱根の別荘に向かう。
向かう途中の高速道路で島本さんはハジメに『そのハンドルに手を伸ばしてグッと回したくなるの』と告げる。
2人は別荘で初めて結ばれ、ハジメは全てを捨てる覚悟をするが、朝起きると島本さんはどこにもいなかった。
彼女はハジメの元から完全に姿を消したのであった。
そして、ハジメは島本さんの『そのハンドル〜』と言う言葉が本心からで、ハジメと共に自殺しようとしていたことを悟る。
ハジメにとって島本さんと言う存在は(幻想)であったが、島本さん自身は(死)を望んでいたということになる。
つまり、対立軸にあると思われていた国境の南と太陽の西はイコールで結ばれる存在でもあることが提示される。これは一体どう言うことだろうか?
これは、単純に方位の問題であると思う。
ハジメは自己不全感を抱え、激しく島本さんを求めているが、その姿は客観的に見ると非常に傲慢で自分勝手である。
島本さんと言う幻想を追うあまり、妻である有紀子が死を考えるほど深く悩んでいることにすら気がついていなかったことが最終盤に明かされる。
つまり、『私』と言う存在を構成するのは他者であり、『私』が国境の南(幻想)と太陽の西(死)を持っているように、『他者』もまた国境の南(幻想)と太陽の西(死)を持っている。
と言う、至極当たり前の、一言でいうと『思いやり』というコンパスを持っていなかったが為に、他人がどこにいるのか(何を考えているのか)理解できなかったと俺は思う。
・中間から、国境の南へ
その為に島本さんはハジメの元を去り、永遠に損なわれてしまった。
考察で、島本さんは『幽霊だった』という説がかなり多いが、俺自身は『損なわれてしまった』以上の意味をそこに見出そうとするのは無意味だと思う。
島本さんは死んだわけでも、死んでいたわけでもなく、ただ完全にハジメを取り巻く他者な中から姿を完全に消し去ってしまったのだろう。
それ故にハジメは全てのつながりから見放されて孤独になったように感じ、島本さんが言うところの『中間』、つまりどこにも行けない状況に追い込まれる。
そして、イズミと再会するのだが、イズミはその時、完全に太陽の西(死、もしくは絶望)に行ってしまっていた。
イズミは表情がなく、ただハジメを見つめ続けるだけだった。これはハジメの浮気が原因でこうなったと言うよりかは、彼女が高校以降歩んできた人生がそうさせたと言う方が正解だと思う。
そしてイズミを見たおかげで、ハジメの中の幻想は完全に消え去り、有紀子とよりを戻すことを決意する。
その時、有紀子はハジメに『あなたは何も尋ねなかった』と詰問するが、ここもハジメの身勝手さを象徴するセリフだろう。
そしてハジメは今度は自分自身が幻想(太陽の南)となり、誰かを守りたいと願うのだった。
・感想
大昔に一度読んでて、記憶の中では『不倫の話だよなあー』くらいしか覚えてなかったが、再読すると、身勝手な男の地獄めぐりのようなお話だったことに気がつく。
ウダウダ語ってきたが、結局、『ウジウジしていた男がほんの少し成長する』というオーソドックスなお話ではある。