日本史上最悪の熊事件、『三毛別熊事件』をモチーフにノンフィクションの巨匠吉村昭先生が綴った大傑作。それが熊嵐である。
・あらすじ
大正、北海道開拓移民の貧しい村を巨大熊が襲った。熊は計6人の村民を食い殺し、その事件は地域住民を恐怖のどん底に叩き落としたのであった!
ただちに熊狩りが行われるが、素人の男衆は熊に怯えるばかりで太刀打ちできない。そこで、白羽の矢が立ったのが、熊撃ち名人の銀四郎であった…
・構成
三毛別熊事件でよく取り糺されるのは、その時間の残酷さ(妊婦が赤ん坊ごと食い殺されたなど)であるが、そこら辺はさらりと描かれている。
あくまでも、事実を元にしたドキュメンタリータッチで、必要以上にドラマチックな流れにはしないし、恐怖も必要以上に煽らず淡々としている印象を受ける。
前半部で、そういった襲撃の様子や村人の熊に対する恐怖、そして、人の心などまったく解さずに人々をひたすら食いまくる熊が描かれる。
中盤は村人やら警察隊の熊狩りが描かれる。
ここから地域の区長が狂言回し的な役割を担い、熊の前で無力な人々、そして疑心暗鬼、自然の前で無力さに打ちひしがれる人々の様子が嫌と言うほど描かれている。
そして後半、銀四郎が現れ、熊を撃ち殺し、沢に熊を殺した時に吹く、熊嵐が吹き、銀四郎が荒々しく村を去って物語は終わる。
・あくまでも主人公は人
読む前はアニマルパニックモノの大傑作かと思いきや、本質はそこではないことが一読して分かる。
本書のテーマは、『自然と人』なのである。
特筆すべき点は3つ
・北海道移民の厳しい環境
・銀四郎の存在
・農民のしたたかさ
である。
・北海道開拓移民の厳しい環境
北海道開拓移民達の生活がまず冒頭に描かれている。彼らの生活たるや厳しいもので、大正という比較的近代であるにも関わらず、空腹と厳しい自然環境に苛まれている。
熊が現れなくても人が死んでしまいそうなくらいである。最初からクライマックスだ。
そんな自然に打ちひしがれながらも、なんとか生きてその地に根づこうとしている彼らを嘲笑うかのように熊は問答無用で人々を食い殺していく。
自然はどこまでいっても人には無関心なのだ。
どれだけ人が努力しようが、生きようと歯を食いしばろうが、『奪う時は全て奪っていく』
これは、10年以上前に日本中に衝撃を与えた東日本大震災にも同じことが言えよう。
どこまで行っても人は自然の前では無力なのだ。
しかし、無力である…完
とは終わらない、あくまでも人々は抵抗を続ける。その象徴が銀四郎であろう。
・銀四郎の存在
熊を前にしても超然とした態度を崩さない彼だが、終盤、実は熊に対する絶対的な恐怖心を押し殺しながら狩りをしていたことが明かされる。
銀四郎のキャラクターはとても面白い。
普段は手のつけられない酒乱の荒くれジジイなのだが、狩りとなれば冷静沈着で作中随一の頼もしさを見せてくれる。
前述したように、それは恐れ知らずの強気ではなく、熊の脅威を知った上で恐怖を押し殺して立ち向かっていたと言うから更にキャラクターの味わいが増す。
彼は狩りが終わればまた粗野な男に戻り、村人達から謝礼金をぶんどって去っていく。
彼は狩りの場面以外は最低な男のように見えるが、実は一番自然の法則に従って生きているようにも見える。
ひとりで生き、ひとりで山に入り、ひとりで戦い、殴りたい時に誰から構わず殴り、酒を飲む。
誰よりも野生的で、本能に忠実でいて、どこか哀愁が漂う彼は作中一番人間らしく、だからこそ、彼は自然界に生きる熊を倒せたのである。
乱暴者であるが、どこまでもピュアな存在とも見ることができる。
むしろ、自然側からすれば、村民達の方が異物なのかも知れないと思えてくる。
・農民のしたたかさ
そもそも北海道開拓移民達が住んでいる土地は本来ならば人が生きるような環境ではないと言われていた地域に住んでいるのである。
そして、あくまでも人間は後住者であり、先住民である熊のテリトリーに勝手に入ったという見方すらできる。
熊からすれば、人間を狩るのはある意味自然の摂理なのだろう。
しかしながら、そんな摂理を人々は許容できないし、出来るはずもない。ただちに山狩りが行われるが、この時も人同士で力を合わせて立ち向かうと言うよりは、内ゲバ的な雰囲気まで流れ出す始末である。
最終的には銀四郎に狩りを依頼するが、銀四郎が熊を殺せば急にビジネスライクな話を持ちかけたりもする。
熊嵐が吹き、その後も熊が村に現れ続け、何人かの村民は村をはなれるが、それでも、村がなくなることはなく、今でも村には人が住んでいると記され、物語は幕を閉じる。
村民達の姿は乱暴者の銀四郎よりもよほどしたたかで、熊よりもよっぽど生命力にとんでいるようなも思える。
本書は熊vs人間という単純な構図がメインではなく、熊嵐が吹こうとも、そこに根を張る人の強さこそが最も印象的ではないだろうか!?