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1984年の希望

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 あらすじは知っているけれど、読んだことはない本の代名詞(と訳者あとがきに書かれている)1984年を読了。

 

 80年近く前に書かれた本ながら、その内容たるやいつの世にも通じる普遍的恐怖に彩られており、時代を場所を超えて多くの人に今なお読まれている名著中の名著である。

 日本では2009年に発売された村上春樹の1Q84の元ネタとして注目されたことを覚えている人も多いだろう。

 

 軽ーくあらすじを説明すると、独裁主義国家に産まれた主人公。彼はひょんなことから自由意志に目覚めてしまい、同じく党の監視の目を逃れて青春を謳歌せんとする女性と出会い、恋に落ち、しかし秘密警察によって捕まった後、最後はズタズタに拷問されたのちに精神を破壊されて、党への忠誠を誓うようになる。

 

 これが大まかなあらすじである。

 いち小市民である主人公が自由に目覚め、愛を知り、党の監視に怯えながらも女性との確かな絆を育む前半部は、ロマンスとサスペンスが合わさった物語りであり、いち市民である主人公が党からの抑圧に反抗しようとする様に否応なく感情移入してしまう。

 

 だからこそ、後半部、徹底的な拷問により全てを剥ぎ取られていく痛々しい様子が映えるわけである。

 最後、主人公は拷問の後、愛も自由も思考も全てを奪い取られ、ただのアル中愛国者オヤジに変えられてしまう。

 

 恐ろしいことに党は主人公のことを殺さないのだ。普通、バッドエンドでも『拷問の果てに身も心もズタズタにされて、処刑台に立たされる主人公。しかし、どんな暴力も心の中の純粋な一欠片の愛は奪うことは出来なかった!主人公は銃殺される一瞬の中にジュリア(ヒロイン)への永遠の愛を見出した!!fin』

 とかならまだ救いはあるのだが、党は主人公をボコボコにした後、解放するのだ。

 もう監視も何もないのに、主人公は無気力で瑞々しい愛を思い出すことはおろか、家族との暖かな思い出すらも自分には必要ないと否定するまでになり、彼が心を揺り動かすのは党の嘘か本当かも分からない大本営発表のみである。

 

 村上龍の大傑作『愛と幻想のファシズム』で『本当に恐ろしいのは愛する人が死ぬことではなく、愛する人が狂うこと』と言った趣旨のセリフが出てくるが、まさに死よりも恐ろしいことが主人公の身に起こったのである。

 

 さて、俺が読んだ小説の帯には『この本が現実になりそうです』と書かれていた。

 これは少しズレたコピーだな、と思う。

 なぜならば有史以来、権力者によって監視や歴史の改変が行われてこなかったことはないのである。

 

 日本史だって『古事記』から『太平記』なんかも全て『戦いに勝った側』によって書かれているわけで、中立的な立場で書かれたとは言い難いだろう。

 権力者によって秘匿されてしまった事実がないとは言い切ることは決してできないわけだ。

 もっと分かりやすいところで言うと、中世の魔女狩りやホロコーストなんかも権力者により事実が歪に捻じ曲げられ、多くの人々が理不尽に殺されたのは周知の事実である。

 民衆が権力に酔いしれて熱狂する様子は第二次世界大戦中のドイツや日本はもちろん、アメリカやら世界中の国々の当時の様子を見れば明らかである。

 

 つまり、何が言いたいかというと、

 この本が現実になり得るというよりも、常に世界は1984年を行ったりきたりしているだけなのである。

 今、我々が生きている時代が偶然『民主的』であっただけの話だ。そしてそれが終わろうとしているのかもしれない…と言うだけの話なのである。

 

 しかしながら、この本はディストピアを暗示しながらも、ディストピアが永遠に続かないことも示唆している。

 巻末の『付録・ニュースピークの諸原理』は作中作であり、かつての独裁を過去形で振り返る形で結ばれている。

 つまるところ、党は打破されたのである。

 諸行無常、全ての物事には必ず終わりがある。それは徹底的なまでの権力を手にしていた『ビックブラザー』にも言えることだ。

 この巻末の付録はともすれば読み飛ばしてしまう方も多く居ると思う。短いページ数ながらも内容は決して分かり易いとは言い難いからだ。しかしながら、その中には微かながらも希望が描かれている。

 

 1984年は権力による暴力や監視、洗脳の恐ろしさを描いている。しかしながら同時に僅かながらも希望が常に隠されていることも語っている。

 

 我々は今のような不安定でいつ戦争が起きるか分からない、100年近く続いた平和な世界が終わるかもしれない、そんな世の中を生きている。

 そして、こんな世界を生きる上で最も重要なことは、微かながらも確実にある希望をなんとか見つけることなのではなかろうか。