カフカの変身は長年名作として愛されているわけであるが、その解釈の仕方はかなり多様で現在に至るまでこれ!と言うものがない。
あらすじは、ある日セールスマンのグレーゴルザムザくんが虫になってしまい、家族から酷い扱いを受けて最後には死んでしまうと言う不条理短編である。
出版された年や、カフカがドイツ人であることなどから、これは手足を失った傷病軍人のメタファーではあるまいか?という説が一般的である。
しかしながら、カフカはこの小説を友人に読み聞かせる時、思わず笑い出してしまい上手く読めなかったという逸話が残っている。
つまり、カフカにとってこの小説はある種のギャグだったのだ。
そうなってくると、この傷病軍人説は的外れなのではなかろうか?という気もしてくる。
傷病軍人という、戦争が生み出した悲劇をカフカが笑い話にするとは到底思えないからである。
・ニートの物語
ここでカフカ自身が残した変身に関する覚書を紹介したい。
・副題は息子達にしたかった
・これは一部自伝的要素もある。
明言はされていないが、以上のようなことを彼は覚書として残している。
以上のことや、物語から察するに、俺はこの物語をニートの哀歌であると結論づけたい。
グレーゴルは家族の為に嫌々仕事をし続けている青年。家族はグレーゴルに養われて生きており、物語の冒頭では家族の中で労働をしているのはザムザ1人だけである。
家族はある種、ザムザの寄生虫でもあったのだ。
そして、家族はこのような生活が永遠に続くと思っていたが、とうのザムザは数年して、家族の借金をあらかた返終わったら、すぐさま仕事を辞めようと思っていたのである。
以上のことから、ザムザは自由を欲していたが、家族によって抑圧されていた状態であったと考えられる。
そして、彼はある日虫になってしまうのだ。
虫になった彼は、朝起きれず、仕事には行けず、部屋の中を這い回ることしかできない。これは鬱症状に近いものだとも言える。
つまり、虫=精神的に病んで働けなくなったニート、であると俺は思う。
面白いのは、虫になったザムザの死因が父親の投げたリンゴが彼の背中にめり込んでしまうところだろう。
家族を養ってきたザムザが、自らを抑圧していた家長である父に、食べ物と言う「養う」ことの象徴的なもので殺されるのだ。