仕事…仕事について悩まなくなるのはいつなんだろう?
10年後?20年後?それとも退職するまで悩みは絶えないのか?
俺は、入社2年目バリバリの新人なんだけど、
日々、仕事について悩む。
最近は特に今まで前例のなかった問題が多く、なかなか上手く処理できない。処理できないうちに新しい仕事がくる。
残業中、トイレに行って、ぼけっと「仕事 したくない」でググって同士を見つける毎日だ。
まだ、俺なんてましだ。大学の時の友達の中には、精神を病んだもの、身体を壊したもの、転職を2〜3回既にしているものもいる。
しかし、それでも、たまにぜーんぶほっぽり出して、遠いところに行きたくなる。
そんな折に、「山奥ニート」と呼ばれる人々を見つけた。
・山奥ニートとは?
山奥ニートとは読んで字のごとく、山奥でニートをしている人たちの集団だ。
和歌山の限界集落で「NPO法人共生舎」が運営している廃校になった小学校。そこが山奥ニート達の暮らしている場所だ。
そこには、元ひきこもりの人や社会に溶け込めず会社を辞めた人たちが住んでいる。
そこでの暮らしは家賃、光熱費、食費を合わせても月々15000円程度らしく格安だ。
皆さん、晴耕雨読の生活をしており、昼には川遊びや畑いじり、夜にはBBQをしたりと穏やかに生活しているらしい。
地域住民との交流も盛んに行なっており、近所のお爺さんお婆さんとも仲良しらしい。
更になんと、ここの代表者である葉梨はじめさんは昨年ご結婚されたらしい
詳しくはYouTubeで彼らの生活に密着したドキュメントがあるので、そこを参照にしてもらいたい。
・俺が思ったこと
YouTubeの コメント欄をみると、やはりというか、否定的な意見ももちろんあった。
「若いからできる」「これからどうする?」
たしかにそう言う意見もあって然るべきだと思います。
でも、俺は純粋に羨ましいと思いました。
同時に、俺には多分この生活は無理だろうな
とも思いました。
社会人になって思ったことは、本当に俺らは自分の時間を削り取って会社に提供することでお金をもらっているんだなってこと。
それは、言い方を少しを変えると摩耗しているとも見れるかもしれない。
個人主義の時代だ。と言われてはいるけれど、まだまだ社会は集団主義だと思うし、学生の頃に尊重されていた自分らしさなんて、クソの役にも立たない。毎日、上司の顔色、先方の顔色を伺ってヘラヘラ笑う毎日である。
昨日と今日が入れ替わっても気付かないほど、仕事中の俺の精神は希薄である。(これは単におれがやる気ないだけなんだけど)
そんな俺なんかよりも、もしかすると、山奥ニートの方がよっぽど人間らしい生活と言えるのかもしれない。
だから単純に俺は山奥ニートの生活に憧れるし、出来ることなら今すぐにでもそんな生活を送ってみたい。
とは言うものの、そんな生活俺には無理だと思う。
なぜならば、俺は今のこの不自由に守られて行きているからなのである。
会社は居心地が悪い。息が詰まりそうになる。しかし、それでも、働けば生きていくだけのお金をくれるし、それ以上に俺らを社会から守ってくれている。
それほどまでに会社員と言う肩書きが与えてくれる「社会的信用」と言うものに付随するプラスはあまりにも大きいのだ。
と新人社会人の俺は思いました。
・もしかして新スタンダード?
あと、思ったのはこれからの時代、こう言う人達が今後増えてくるかもしれないなってこと。
別に、今の時代、結婚しないと言う選択肢も当たり前になってきている。
また、現在の産業技術の革新と言うものは目覚しいもので、あと20年後にはかなりの職業がロボットに入れ替わったりして、社会の働き方も大きく変わると言われている。
つまり、もしかすると今後、今までみたいに必死に働かなくてもいい時代がくるかもしれない。
そうなった時、「山奥ニート」のようなライフスタイルを送る人々が増えても何もおかしくないのではないだろうか?
そういう意味ではこの人達は未来の先取りをしているのかも。
・こういう場所があってもいいと思います。
否定的な人ももちろんいると思うけれど、
こう言う社会に適応出来なかった人達が暮らすことが出来る駆け込み寺みたいなところは絶対必要だと思います。
それに、もしかすると、今後山奥ニートみたいな人が増えて、こう言う生活が当たり前になる日がくるかも?
常識とは、18才までに得た偏見のコレクションである。
とアインシュタインも言っています。
もしかすると、会社員やっている俺が異常で、山奥ニートの人々の方が正常なのかも?
うーん…今回はダラダラと書いてしまった。
気が向いたら編集します。