ニートになって日々ぷらぷらしている。
部屋で寝転んで音楽を聴いていると、俺のApple musicはエレファントカシマシの名曲『こうして部屋で寝転んでいるとまるで死ぬのを待っているみたい』を流し始める。
やめろやめろやめろやめろ
急いでテンションを上げなければ!!!
テンション、テンション、テンション!!!
そして流したのが、オレンジレンジ!!!
今聞くとマジでいい曲ばかり、刺激が欲しけりゃ馬鹿になれ!!WOWOWO!!
という訳で6/6〜6/10の間なんとなく沖縄へ。
前から仕事辞めたら行きてえ!!!と思っていたし、いい機会なので思い立ったが吉日ということで出発。
セントレア近くの漫画喫茶(ここが安くてなんと1泊1000円)に前泊。朝イチの便で行くことに。
最後に飛行機に乗ったのが高校生の頃なんで、ほぼ初の飛行機に年甲斐もなくウキウキしていたが、天気は生憎の豪雨。
ちなみに結構ガチで飛行機にビビっていたので、兄貴に『俺が死んだらみんなによろしく伝えてくれ』とラインを送っておく。
半ば冗談混じりでラインを送ったのだが、豪雨の為、飛行機は揺れに揺れてフライト中ずっと脂汗が出た。もう少しでCAさんに『こんなに揺れるもんなんですか?』って聞きそうになったわ。
なんとか那覇空港に到着したのは午前11時。
沖縄は蒸し暑く、すぐさまシャツが肌にまとわりつく。
従姉妹の姉が沖縄に移住しているので迎えに来てもらう。最近結婚したし結婚祝いも兼ねて銘菓の赤福を渡す。
なんと観光も付き合ってくれると言うので、早速オススメのソーキそばの店へ。
めちゃくちゃ美味かった。
左のご飯は炊き込みご飯ではなく、ジューシー飯?とか言う沖縄の料理。味は炊き込みご飯。どう違うのだろうか。奥のもずくは味付けが市販のモノよりもだいぶ優しくてマジ自家製感半端ない。もちろんソーキそばも無類の美味さである。
お前、あれ貰ってこい!
と従姉妹に言われ、持ってきたのがこれ
コーレーグースー。唐辛子を泡盛につけた島人が大好きな薬味らしい。
味はマジで辛い。そんですげーアルコール臭。
人を選びそうな味だ。
食い終わった後、那覇市を軽くドライブしてもらい、次は栄町を探索。
栄町は沖縄の地元民にとって昼は市場で夜は屋台街になると言うディープスポット。
そこでコーヒーを奢ってもらい、しばらく話し込んだ後に美味い店を教えてもらったからホテルまで送ってもらう。
部屋に着いた瞬間爆睡。
なんだかんだ疲れていたみたい。起きると夕方の5時。
ホテルの周りを散策。海辺で黄昏れる。
なんだか遠くまで来ちゃったな。仕事どうすっべなぁ…楽しいけど寂しいなぁと早速ホームシック気味になりかけるも、テンションを上げねば!!!俺はオレンジレンジだぜ!!!
と無理やり心をロコローションして童心に戻りホテル内を散策する。
屋上にプールを発見。かなりテンション上がる。
とは言え、疲れているのは事実なので飲みに行ったり、外食する気力も湧かない。
なんとか身体を動かしてホテルの外へ。海側ではなく、繁華街の方へ歩く。すると周りは超風俗街…あとで知ったが俺が宿泊していたホテルは風俗街である辻と言う町の中心にあったのである。
ぶっちゃけ、旅に来てまでそう言うことをする気には到底なれず、客引きの兄さん達に絡まれるのもしんどかった。
繁華街の中に惣菜屋を発見。恐らく地元民も利用するであろう店と予想。こう言うのって観光客用の店よりも地元民が行く店のが美味いんだよなぁ!!!と賭けに出てタコライスとサーターアンダギーを購入。
これがまた美味かった。
タコライスはチーズたっぷり入っていて超ジャンキーな味わいであった。
2日目は朝からレンタカーを借りてドライブ。
2日目のテーマは自然を楽しもう。であり、沖縄北部のヤンバル地方を目指す。
ヤンバルは現在(2022年6月)放送中の朝ドラ『ちむどんどん』の舞台である。このちむどんどんが全く面白くないので聖地巡礼のしがいがない。
とは言え、せっかく来たし、ドラマは面白くないが、ヤンバルの景色の美しさは無類なので観に行くことに。
ヤンバルドライブと言うマップを頼りにひたすら沖縄のメインストリート58号線を走らせる。
途中、A&W(沖縄にしかないハンバーガー屋。ルートビア好きとしては堪らん!!!)を発見したりとただ道を走らせるだけで楽しい。
道中のお供としてニケツを車内でかけ続け、一人で爆笑する。
お昼はヤンバルの道中にある老舗シーサイドドライブインへ。
ここは1967年に開業して以来地元民に愛され続けているお店でコロナ以前は24時間営業していたそうな!!!更に言うとNHKの人気番組72時間でも密着されていたし、行きたいと思っていたところ。
オススメを聞いてフライライスを注文。
油油油!!!って感じのガツガツ系で大満足。
更に北上し、なんとかヤンバルに到着。
マングローブの原生林を眺めたり…
ウッパマビーチで波をひたすら眺めたりした。
ちなみに美しいウッパマのビーチにはゴミが大量に捨てられており、なんだか寂しい気持ちになった。人間はオロカ
ちなみに道中、野良犬にあった。
なんか顔がだいぶおじいちゃんで味わい深い。
ヤンバルは自然豊かで家屋も沖縄然とした平家に石垣。時間がゆっくりと流れる…なんて言う使い古された表現がピッタリの地方だった。
その後、ホテルを取った名護まで戻りパイナップルのアミューズメントパークへ。
とは言え、閉園の時間も近くほぼお土産しか見れず…
夕飯はもちろんA&W!!!!
ハンバーガーはチーズドロドロのコッテリに揚げたてフライはザクザクでルートビアはたっぷりグラスに入ってるとか最高かよ!!!
ホテルは名護市役所の近く。プールがまたもやついていたが、この日も疲れすぎてすぐさま爆睡。起きたら楽しみにしていた井上尚弥vsドネア戦が終わっておりガックリ。
3日目は起きてすぐに身体が怠いことに気がつく。コロナか?と思ったが単純に疲れているだけだろう。というのもここ数日毎晩酒を飲んで飲んで寝るので目覚めが日増しに悪くなっていたからである。
起きてすぐに九州・沖縄地方で人気と噂のラーメンチェーン店暖暮に行く。
正直微妙だったが、食べたらなんとなく元気が出てきて美海水族館へ。
マナティの赤ちゃんが可愛かったなぁ…
またも海をほっつき歩いた。3日目のテーマは孤島へ行こう。フェリーに乗って宮古島とかに行こうかと思っていたが、疲れから超億劫になってしまい、橋で渡れる離島である古宇利島へ。
とにかく景色が綺麗で最高。
海を見ながら食べる食べる食べる。
なんと言ってもパイナップルが至高だったな。
シャッキシャキで歯応え抜群。尚且つ超絶甘い。それもシロップ漬けみたいな人工の甘さではなくて、本来の自然な甘さで大興奮。
ここら辺で気がついたが、沖縄は自然が綺麗で尚且つ飯がうまいだけなのでは!?
人はそれを最高と言うのだろうが…
まあ考えても仕方がないのでとにかく食う食う食う!!!
夕飯はゴーヤチャンプルーと肉そば。
ゴーヤチャンプルーは激うまだったが、そばはそこそこ。ホテルに戻り、沖縄名物ブルーシールのアイスを食べた。
4日目は朝起きるとすぐに名護市にある宮里そばへ。宮里そばはthe地元民御用達という飯屋。
夏の観光シーズンは超混むらしいが、シーズンオフ中だったのでガラガラ。
スパゲティにトーストを頼むのが通らしいが、そばも無類の美味さらしく注文。
確かに美味い。昆布がまるまる入っていて、超絶出汁が効いている。
翌日の朝帰るので那覇市へ移動。
道中、またもやシーサイドドライブインに寄る。そこで野良猫を発見。
野良が多い町だ。
持ち帰りで280円のフィレオフィッシュを食べる。これ、マジで美味い。今まで食べたフィレオフィッシュで一番美味かった。
ついでに道中ブルーシールで塩ちんすこう味のアイスも食べる。
なんとも食べたばかりの旅である。
ホテルに着いて一休み入れたら、すぐさまモノレールに乗って栄町へ。
栄町にある24時間営業のスーパーりうぼう。
栄町でひたすら飲み歩き。
栄町は悲劇のひめゆり隊の女学生達が通っていた学校の跡地に建てられた町らしく、名前も『以前より栄えますように』との願いが込められているらしい。
飲み屋街の栄町の奥には写真がひっそりと展示されており、そこにはひめゆり隊に召集された女学生達の戦前の姿を見ることが出来た。
セーラー服を着ておどけた姿で集合写真を撮る彼女達はどこからどう見ても15〜18歳の女の子だった。写真に写っていた女の子の殆どがボロ雑巾みたいにぶっ殺されたり、崖から飛び降りて死んだと思うと酔いが少し覚めてしまった。
栄町はその日定休日の店も多く、活気が微妙だったので歩いて国際通りへ
国際通りはとにかくうるさく、人通りも多く、尚且つ修学旅行生がめちゃくちゃにいて、どこかしこからも三線の音や琉球音楽が流れていて、それになんとなく神経を逆撫でされ、逃げるようにホテルへ帰った。
ずーっとこの旅を通してなんとなく楽しめていない自分に気がつく。それは恐らく心を楽しませるのは環境ではなく、自分自身であり、心はこの数ヶ月全くロコローションではないからである。やっぱり俺の今のテーマソングは『こうして部屋で寝転んでいるとまるで死ぬのを待っているみたい』なのだ。
ホテルの最上階でピニャコラーダを飲みながら那覇市を眺める。
実はこう言うことしてみたかったのだ。
しかし、俺の格好はシャツにジーンズと言う超絶ラフな格好で少々場違い。周りは外国人のカップルやら裕福そうな中年夫婦ばかりでなんとなくいたたまれなくなり、ピニャコラーダを一気飲みして退散。
翌日早くにホテルを出て、すぐさま那覇空港へ。結局食って食って飲んで飲んでの旅だったな。ほんの少しの苦味を感じながら飛行機で沖縄を後にした。
帰りの車の中で上海ハニーを流しながらぼんやり南国を思い浮かべながら帰路につくのであった。