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俺は『花束みたいな恋をした』がほんのり嫌い

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ずーっとこの2年間モヤモヤしてたの!!!

何にって、花束みたいな恋をしたにだよ!馬鹿野郎!!!

 

どうしてこんなにモヤモヤするのか最近ようやくなんとなく言語化できるようになったので、ツラツラ書いていく。

 

・あらすじ!!!

サブカル好きの大学生麦くんと絹ちゃんはお互い趣味が合う事から付き合い始めるも、社会人になってなんとなく合わなくなって別れるのでした。

 

・節々に見られる違和感

 

・絹ちゃんはニワカなのでは?

 

まず、見始めて速攻違和感にでくわす。

絹ちゃんはお笑い好きなのに、芸人の単独ライブのことをワンマンと言うのだ。

俺はお笑い好きの友人が周りに結構いるけれど、彼らの口からワンマンと言う言葉を聞いたことがない。だから、きっと絹ちゃんは『そこまでお笑いに詳しい人ではない』のである。

 

 

・出てくるコンテンツが全てTHEサブカル

 

この映画ではご丁寧に彼らが消費していたコンテンツが固有名詞込みで紹介される。

 

小説家

『今村夏子』

『舞王城太郎』

歌人

『穂村弘』

漫画家

『松本大洋』

『花沢健吾』

バンド

『きのこ帝国』

『cero』

 

誤解を恐れずに言うと、どれもサブカル御用達の作家、バンド達である。

もちろん、オタクの俺も上で挙げた方々は大好きだ。でも、THE過ぎるのである。

本当に好きな人間ならば、そこからディグって行くのが普通なのである。

たとえば『きのこ帝国』ならば、バンド名の由来にもなった『ゆらゆら帝国』に行きたくだろうし、『松本大洋』を挙げるなら『井上三太』の漫画が本棚にあってもいいと思う。

 

好きなアーティストで上で挙げた方々を列挙されると(列挙されるとここ重要)

あー、流行ってるサブカルっぽいのが好きな人ね。

要は、オタクはオタクでもライトオタクじゃねえか!!!ってなっちゃうよね

 

 

・ライトオタク層

 

・ライトオタクと言う存在

 

これが作られた背景とかを考えると、今の国民総ライトオタク化現象みたいなものがあったのではなかろうか。

 

今や、アニメ映画を見に行くのは当たり前の時代だ。なんなら鬼滅の刃や呪術廻戦、新海誠作品、最近で言うとワンピースなんかは超特大のヒットを記録し続けている。

 

今やサブカル趣味を持っていて当たり前、オタクは市民権を得たのである!!!

本当にそうか?これは注釈が必要である。ライトオタクが市民権を得たのである。

 

 

・それって本当に好きなの?

 

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上の写真は大人気漫画ハンチョウから引用したものだが、ここでハンチョウが感じる微妙なズレこそがオタクとライトオタクの差なのである。

 

ライトオタクとは、サブカル好きだけど『流行り物』しか見ない層の人々を指すと定義しよう。一方ガチオタはその『コンテンツやジャンルがそもそも好きな人々』と定義しよう。

 

ライト層って結構大事で、ライト層からガチオタになる人もいるし、なんならコンテンツがヒットを飛ばすのは、このライト層が動いたときなのだ。

 

ただ、ガチオタからすると、え?それって本当に好きって言えるの?ってなっちゃう。

 

 

・好きだから知りたかなるんじゃないの?

 

ガチオタからすると、ライトオタクの浅く広くと言うのが理解できない。

ガチオタは『オタクは広く深くあるべきなのだ』と思っているからだ。

だって、好きなんだもん、好きなものは全部知りたくなるのが当たり前なんだもん!と言うわけである。

 

しかし、ライトオタクの考え方は全く違う。

あくまでもコンテンツは『他人とのコミュニケーションツール』と『つまらない自分を彩るどこにでもある奇抜な趣味』に過ぎないのである。

だから、彼らにとって重要なのはその業界がどーとか、ジャンルがどーとか面倒臭いことではなく、『あれ面白かったよね!分かるー!!!』と言う共感と『どう?こんな趣味持っている俺ってちょっと個性的でしょ?』と言う自意識を高めることができれば御の字なのである。

 

話を戻すと、これは麦ちゃん&絹ちゃんに超当てはまりそうな気がするのだ。

 

 

・サブカルでマスかいてた2人

 

・麦くんに感じた違和感

『花束みたいな恋をした』で感じた1番の違和感は仕事とか現実を考え出した麦くんがなんとなくサブカルにノレなくなっていくシーンである。

 

アラサーの俺は仕事してた時もバコバコにサブカルにハマりまくってた。やって、好きだから…泣

 

だから、ここで、麦くんと言う青年は本当は好きじゃなかったのかな…?とモヤモヤし始めてしまうのだった。

 

そして、更には麦くんがサブカル好きじゃなくなることで急激に冷えていく絹ちゃんとの関係も、一重に『サブカルをコミュニケーションツール』として使っていたことの象徴であろう。

 

・現実は酷である

 

結局、麦ちゃんも絹ちゃんも、真のオタク『(サブカルを)ジョイボーイ』ではなかったのである。

 

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ワンピースより

 

これに俺は裏切られた気分になったのである。

当時、20代後半に差し掛かろうと言う俺の周りでは、バンドを辞める奴も多かったし、あんなに好きだった漫画やアニメを見る人も少なくなってきていた。

 

そこにきて、オタクは見るべき映画だよ!みたいな宣伝文句で『花束みたいな恋をした』を見たら、お前らも結局そっち側かよ!!!と憤慨したのであった。

 

そして、残されたのはアラサー、無職、オタク、偏屈な俺だけだったのである泣。

 

でも、俺は多分一生音楽も小説も映画も漫画も全部好きな自信はある。

お前らが捨てた宝の山で一生遊び続けてやるからな!!!

 

・補足

これにてこの記事は終わりなのだが、最後にどうしても言いたかったことがある。

なんか論調的にライトオタクを否定しているような感じになったけれど、別にライトオタクは否定する気は一切ない。

彼らがハイエナみたいにコンテンツに群がって凄まじい勢いで消費しまくって、流行りと廃りのサイクルが鬼の勢いで回っているのは考えものかとも思うが、そこを否定しても何も始まらない。もう、今はそう言う時代なのだ。

 

一番腹立つのはライトオタクなのにガチオタぶるイキリオタである。

 

『俺めっちゃ漫画好きですよ!!!オタクです!!!』

 

俺『な…なに読まれるんですか???』

 

『ワンピースと進撃の巨人っす!!!』

 

俺『爆発死散』

 

的な感じである。

 

結局、俺はライトオタクとかイキリオタクとか関係なくつまんない人が嫌いなんだと思う。

オタクってつまり大好きがある人じゃない?

大好きがある人って個人的には面白い人だなぁって俺は思うわけでして、だから、つまんない人がオタク(面白い人)のフリしてるのが我慢出来ないんだよなぁ…と言う愚痴と偏見でした。

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